「身を慎み、目をさましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、 ほえたけるししのように、食い尽くすべきものを捜し求めながら、 歩き回っています。」Ⅰペテロ5:8

悪魔は、神と同じ事を真似て来る。主が御声をかけて導かれると、悪魔も同様に語りかける。朝起きた時から、夜寝るまで、ずうっと悪魔は語りかけている。悪魔の攻撃だ。無防備に、ぼお~としていると、悪魔の声に引きずられて行く。朝起きるや、悪魔はその日の不安材料、思い煩いを思い起こさせるだろうか。あの事・・、この事・・、心は暗くなり、気持ちは沈む。

 

悪魔だと気づかなければ、思いのままに、落ち込ませられ、思い煩いでいっぱいにされ、ほんろうされる。主と共に、主を喜び、生き生きと御心を行なうはずの一日が、どんよりと沈んだままだ。絶えず、攻撃が来ている事に心していよう。「力の限り、見張り、あなたの心を見守れ」、心を見守れと言っている。

 

それも「力の限り」と。そもそも自分の心を見張るなどという発想が無い。力の限り、見張れるよう助けを求めて祈ろう。見張っていると、悪魔が、現在の煩いや過去の失敗や先の不安等、様々な思いの火矢を放って来る事に気づく。人から傷つけられた事、自分の手痛い失敗、恥ずかしい罪、様々心を乱す。

 

ある人は、ある状況で、突然昔の事が思い出され、傷つけられた怒りと恨みがよみがえった。しかし悪魔だと気づき、祈り、その思いを拒否し受け入れなかった。すると心が平安に守られる事を経験した。絶えず悪魔の火の矢が飛んで来る。心を見張っていよう。そうできるよう祈ろう。

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励ますようでいて、もっと頑張れ、昨日より頑張れとの思いを吹き込んでくる。お前は駄目だと追い込まれやっとサタンだと気づく。御霊の励ましとは真逆の破壊的な思いだ。主の希望や喜びを奪われないよう主を見上げ、心を見張ろう。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係