「神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。」ピリピ2:13

主は、私たちの心に働きかけ、ああしよう、こうしようとの志を与えられるとある。それは御心にかなった事だと。そして、主がその志を行わせて下さる。つまり、それを成し遂げられるのは、自分ではなく、主であると。勿論、実際、自分自身が身体を使い、行うのであるが、それを成し遂げる力は、主から来ると。

 

それゆえ、もし主から何かの示しを受けるなら、自分には能力がない、知恵がない、時間がない、財がない・・と悩む必要はない。主が語られた事は、主ご自身が実現する力を下さる。スポーツを習得する時、その方法のレクチャーを受け、ノウハウを学び、それだけで、出来るようになるのではない。実際にそれを用いて訓練しなければ不可能だ。練習を積み重ねて行く時に、上達して行く。

 

私たちも、何かを語られ、示された時には、祈りと共に、実行が大切だ。導きを受けているが、踏み出す勇気がなく、不安と恐れで、いつまでも祈り状態だろうか。祈りが、隠れみのになっているだろうか。そうなら、祈りの座から立ち上がり、一歩踏み出そう。モーセも紅海の前で「わたしに向かって叫ぶのか。前進せよ」と言われた。

 

従った時に主の素晴らしい栄光を現された。私たちも従う時、いのちの言葉をしっかり握って、人々の中で、世の光として輝くことができる。主の証しとされて行く。そして自分の努力したことがむだでなく、苦労したことも無駄でなかったことが、かの日に誇れる。何と幸いだろう。

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主によって次の一歩が示されているのは大きな祝福だ。従えない所はどこだろう。祈り初めたい。主のご計画は必ず成し遂げられる。主に信頼して踏み出すだけだ。主の御声に従おう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係