「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。」マタイ13:19 

種蒔く人は主イエスだ。主が、御言葉を蒔いて下さるのだが、受け取る側は、どのように聞いているだろう。蒔かれた土地は、私たちの心だが、道ばたは、人々が絶えず踏みしめるので、固くてカチカチだ。そのため種が落ちても、地中に入らず、弾かれてしまう。これはカチカチの固い心であり、御言葉を受け入れない頑固な心だ。

 

「よくわからない」と言うのだが、実は決して受け入れようとしない。頑なな心は、弾いてしまうが、又、他人事のように、自分には関係無いとの態度で聞いても、スルーしてしまう。心に入らない。映画館で映画を観ているようで、自分はその中身には関わりなく、ただ傍観している。物理的に聞いてはいるが、心に入ってはいない。

 

種は、土地に植わってこそ、初めて事が始まって行くので、受け入れないなら何も始まらない。聞いてはいるが、実は聞いていない。種と耕された土地が一つとなって、豊かな結実を見る。良質の種はあるのだが、土地の状態はどうだろう。自分の思いが強固で、自分の思いでいっぱいで、弾き返してしまうだろうか。自分では無意識だろうか。

 

又、もう一つ御言葉に関心がなく、心が向いていないだろうか。そうであれば、何もかも見ているサタンは、せっかく蒔かれた御言葉をすぐに奪い去ってしまうと。頑なな心があれば、又、渇きが無ければ、その事を気づかせて頂こう。そこから大きな祝福が始まって行く。

 

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主は御言葉を語っていて下さるが、土地が問題だ。自分の思いが強いと、無意識に弾き返してしまい、種が心に入らない。心に入らないなら、実を結びようがない。心の状態はとても大切だ。自分はどうだろう。御霊の気づきが与えられるよう祈ろう。実を結べるように。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係