「・・こうお話しになってから、ペテロに言われた。『わたしに従いなさい』」ヨハネ21:19

ペテロは愛する主を裏切ってしまい、心はどんなに暗たんたるものだったろう。深い後悔にさいなまれ、虚無感の中にあったろう。重く沈んだ心で、なすすべなく、唯一できる漁に出た。以前に捨てた網を取って。しかしプロのベテラン漁師のはずが、魚は一匹もとれない。更に惨めになりどん底だったろう。

 

その時、主の方から語りかけが来た。「食べる物がありませんね」ありのままを認めて告げた。「はい、ありません」これがいつも回復への道だ。「自分にはありません」。主の御前に正直に言い表し、認める事だ。愛が無い、忍耐が無い、力が無い・・。その時「右側に網をおろせ」との指示が来た。

 

彼らにすれば、誰か知らないが、その人の言う通りに網を下ろした。すると驚きの大漁だった。無力で構わない。主の御声に一歩従う時、主の力が臨み、みわざを見る。主の方からご自身を現し、挫折したペテロを回復させて下さった。「主よ。あなたはいっさいのことをご存じです」と、ペテロはいっさいを、何もかもを、今の自分自身をそのまま主に明け渡した。

 

主は、この砕かれたペテロを建て直し、建て上げ、聖霊に満たして、諸教会のリーダーとして用いられた。どんな失敗があっても、主の愛は全く変わらない。あわれみは尽きず、再び、立ち上がせて下さる。何があっても、やり直せるとは、何という希望だろう。

 

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どんなに失敗しても、主に向き、悔い改める時、赦されて来た。失敗しないのでなく、赦されて〃これまで来た。赦される度に、主の深い愛を知って来た。主の愛は決して変わらず、あわれみは尽きない。今日も同じ愛で、愛されている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係