「あすの今ごろ、わたしはひとりの人をベニヤミンの地からあなたのところへ遣わす。あなたは彼に油をそそいで、わたしの民イスラエルの君主とせよ」Ⅰサムエル9:16

この箇所では、時ピッタリの、「ちょうど」の主の導きを見せられる。この頃、民は、他国のような王を求めた。それはサムエルの気に入らなかった。しかし主は「聞き入れよ」と言われた。「このわたしを退けたのだから」と。民に王に関する警告をするが、聞く耳を持たず、なおも王を求めた。

 

そのため主は、サウルを王に立てられた。その時のサウルとサムエルの出会いが絶妙だ。サウルの父親の雌ロバがいなくなり、サウルが捜しに出る。あちこちと捜し回り、ツフに至る。見つからずに帰ろうとすると、連れの者が、丁度この町に神の人がいるから聞こうと提言する。サウルは同意し、町へ入ると水汲みの娘たちがいた。

 

尋ねると、その神の人は、丁度今日、町に来て、今からいけにえをささげるところで、すぐに行けば会えると。そこで進み行くと丁度ピッタリ、サムエルに会えた。サムエルはその前日に、主から一人の人を遣わすから君主とするよう示しを受けていた。

 

雌ロバ捜しから、パズルが埋まるように、すべてのタイミングが驚くばかりにピッタリだ。あなたも、時や事柄がピッタリのタイミングで運ぶ経験があるだろうか。まさに主の働きであり、主が導かれている。主の導きは御言葉と共に、環境からも知れる。今、導きを求めているなら、環境もしっかり見張っていよう。『ちょうど』のタイミングを経験する。

 

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ちょっとでも、時がずれていたら、この事柄は成り立たなかった。何もかもが、ビッタリのタイミングは、人間には不可能だ。まさに主が働かれた結果であり、人間がした事でないことがわかる。時に日常で、この人間がした事でない、主のみわざを経験する。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係