「すると、イエスは言われた。『それを、ここに持って来なさい』 マタイ14:18

私たちは、どうしてもマイナス思考が働くだろうか。又、それは諦めだろうか。「私ごときが、小さな証しをしても何になろう」「こんな微々たる献金、してもしなくても同じだ。役にも立たない」「力のない私が、少々祈ってもだめだ。何の力にもならない」

 

「こんな微力の祈りが聞かれるとは思えない」「こんなに大勢の未信者の中で、私に何ができよう、何もできやしない」ふっと心に湧いて、尻込みするだろうか。悪魔がささやいている。「何にもならない」「無駄だ」「役に立たない」「焼け石に水だ」

 

少年の5つのパンと2匹の魚、小さなお弁当で、微々たるものを、大勢の群衆に対し、こんなもの何になると、主のもとへ持って行かなければ、どうだろう。少年は奇跡を目の当たりにする事も無いし、自分が用いられるという大きな喜びを経験する事も無かったろう。又、皆もこの奇跡を目にする事は出来なかった。

 

主は全能の力を持っておられる。「パンが5つと魚二匹・・ほかありません」「それをここに持って来なさい」これが何になろうと思う、その微々たるものを、又、私に何が出来ようと思う、あなた自身を、主のもとへ持って行くなら、献げられたものを用いられる。そして大いなる奇跡をされる。主が働かれる。

 

どんなに僅かであろうと、小さかろうと問題でない。主は祝福される。又、周囲の人々も満ち足りて、満腹する。周囲への祝福の器として、用いて下さる。小さなものが、主の御手に渡ることが肝心だ。用いられるという、素晴らしい祝福にあずかる。

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自分は出来ない、自分はだめだ、でも主にあっては何でもできる。これが私たちの確信だ。与えられた志こそ主の祝福の始まりではないか。そのままを主に祈り手渡そう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係