「御霊によって歩みなさい。そうすれば、決して肉の欲望を満足させるようなことはありません」ガラテヤ5:16

御言葉は、肉と御霊は互いに対立していると言う。肉は、御霊に従う事に逆らって来る。突然、時間が空いた時に、御霊が「今、チャンスだ。祈りの時を持て」と促される。しかし肉は「今は疲れている。祈る気がしない。テレビを見て、気分転換しよう」と言う。御霊は「この想定外の事態も“すべての事について感謝”、感謝せよ」と言われる。

 

しかし肉は「感謝などできない。この事態のどこが感謝なのか」と不満でいっぱいだ。嫌な人が目の前に現れる。御霊は「隣人を愛せよ」「祈れ」と。新しい性質は「“敵を愛せよ”なのだから、嫌な人も愛せるよう祈ろう」と思う。しかし肉は「あんな相手、愛したくない。関わりたくない」と思う。

 

御霊は「人を傷つけたのだから、謝るよう」言われ、肉は「謝罪はしたくない。親切な行いで返せばよいではないか」と言う。御霊は「復讐するな。神に委ねよ」と言われ、肉は「倍返しにしたい。反撃すべきだ、気持ちがおさまらない」と言う。御霊は「不満があっても、まず祈り、赦すように」と言われ、肉は「絶対に赦さない」と言う。

 

肉は、御霊の導きと正反対に向かい、神の栄光を損なって行く。肉の願う事と御霊は、相容れない。肉の思いは神に反抗する。だから「御霊によって歩め」と。まず自分に出来ない事を認めて、主に助けを求めて祈ろう。助けが臨み、肉を拒否し、御霊の方を選択できるよう助けられる。御霊によって可能にされる。

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肉の思いはどこまで行っても自分中心で、自分の考えで生きていきたい。ずるずると御霊に従いたくない思いがある。認めよう。瞬間、瞬間が選択だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係