「主の御前でへりくだりなさい。そうすれば、主があなたがたを高くしてくださいます。」ヤコブ4:10

信仰人生には様々な事柄が起きる。嬉しい事、ハッピーな事があると同時に、苦しくつらい事、悲しい事も必ず起きて来る。そして私たちは、つらい事が起きた時に、その不幸の原因を、環境のせいにしたい。対人関係の問題は多い。職場でも仕事自体より人間関係で悩むと言われている。あの嫌な人がいるから職場がつらい。あの人さえいなければ・・あの上司、あの同僚さえいなければ、快適なのに・・。

 

悩みの原因として、特定の人が浮かび、憎しみが湧くだろうか。主がおられるなら、なぜこのようなのかと、不満だろうか。だが「主はその愛する者を懲らしめ」とあり、懲らしめは愛だと言われる。今、わけがわからず、理解できない事が起きていても、主の動機は「愛」だと。祈って行こう。

 

主が教えようとされている事、主からのメッセージがあり、見えて来る。自分の中のとがっている部分が削られる。高慢、プライド、虚栄心か。なぜその相手がそれほど嫌なのか。自分の何に触れるのか。時に自分の中の、自分が嫌で、受け入れ難い部分があり、それを相手に見る時に、相手を嫌うと言われる。

 

相手でなく実は自分を受け入れられず、自分の問題となる。又、へりくだりを学ばせられているかも知れない。ひざを折って、主の御前にへりくだる事、それは同時に相手の前にもへりくだる事だ。主が、学ばせたいと思っておられる事が、受け取れるように祈ろう。

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嫌な相手を通して主は何を教えておられるのだろう。嫌な相手の事ばかり見ていると自分の姿がわからない。主の前に高ぶっている自分の姿を示されたなら感謝だ。悔い改めたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係