「あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主は あなたの道をまっすぐにされる」箴言3:6

信仰生活の中で、経験する。主は絶えず導いて下さるが、しかし自分の思い通りにはならない事を。私たちを取り巻く環境は、すべて主からのものだが、自分の思い通りではないし、自分の思い通りにはならない。受け入れられないだろうか。そのため、とにかく環境を変えよう変えようとする。不満で仕方がない。自分の思い通りにしたいばかりだ。

 

状況を変えよう、相手を変えようと、悪戦苦闘する。どんなに苦闘しても、何も変わらない事を知る。疲れ果ててしまい、不毛の戦いをする。何一つ変わらず、どうどうギブアップする。主の御前に静まり、祈りに持って行った時に、「主が曲げたものを誰が真っ直ぐにできよう」と言われる。「これはわたしが曲げている」との御声を聞く。それを真っ直ぐにしようと、苦闘していた事に気づく。

 

ある人が子どもの難病を、受け入れられなかった。「なぜ?」「自分の子が?」と涙は溢れ、苦しく、心はつらいばかりで、主に対して反抗している自分がいた。同年齢の子供を見れば涙が出て、悶々でとうとう限界に来た。

 

行き詰まり、煮詰まり、ギブアップした。自分自身も、子どもも、将来も、何もかもを、主に明け渡した。その時、不思議が起きて、状況は同じままなのに、心に、初めて深い安堵が来た。自由にされた。委ねられずに握っているなら、その事を主に告げて、ありのままを祈ろう。状況に主を認め、自分を明け渡して行く時、心がまっすぐに、つまり平安にされる。

 

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なかなか明け渡す事が出来ない。主を認められず、自分で何とかしようとしてしまう。気づかないことも多い。しかし行き詰まってしまい、どうにもならず、主に渡す。すると平安にされる。何度も経験させられて来た。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係