「私のうちで、思い煩いが増すときに、あなたの慰めが、私のたましいを喜ばしてくださいますように。」詩篇94:19

あなたには、心配事があるだろうか。次から次へと問題は起きて、心配事を抱える。対人関係の問題、仕事の悩み、経済的必要、目の前の問題、過去の後悔、先の不安、様々な悩みで、くよくよと思い煩う。しかし主は「思い煩うな」と言われる。いっさい「心配無用」と。なぜ無用なのか。思い煩ったところで何も解決せず、何一つ変わらないからだ。

 

「誰が心配したからといって、自分の命を少しでも延ばすことができるか」の通り、何一つ成し遂げない。心が真っ暗に落ち込む事で、何かを前向きに考えられるだろうか。思い煩いは有害無益だ。なぜ思い煩うのか。自分が、自分が、になっていて、自分が出来ると思っている。それならすべてが自分の肩にかかる。

 

しかし出来ないので、そのために思い煩う。「神の力強い御手の下にへりくだりなさい」。思い煩いは、実際より、物事を大きくしてしまう。冷静に対処するなら、十分乗り越えて行ける事態が、恐れでパニックに陥ってしまう。その心配事は、絶えず脳裏に浮かび、それを受け入れ続けていると、不安と恐れの要塞を築き、それをなおも強固にし、モンスターにしてしまう。

 

モンスターにはとても打ち勝てない。しかし、それは現実、実際とは異なる。妄想上のモンスターだ。最悪のシナリオは成ったためしがない。一つ残らず主に委ねよと。主が目の前の事を心配して下さっている。主に明け渡そう。その時、真の慰め主である、主からの慰めが臨み、いかに気遣って下さっているかを経験して行く。

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今日一日が全て自分の手にかかっていると思うからこそ、先の事を心配する。自分に出来る事は曖昧な予想ばかりだ。へりくだり主に立ち返ろう。心配事を主に告げて、そして主の平安を受け取ろう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係