「この日は主が設けられた日である。この日を楽しみ、喜ぼう」 詩篇118:24

今朝はどうだろう。朝起きた時に、昨日の疲れが取れておらず、身体が重くだるいと、心もだるく、一日が始まるだろうか。ぼお~としたまま、気力無く、身体だけを動かしているかも知れない。又、朝から、思い煩いに支配されているだろうか。しかし御言葉によると、「この日は主が設けられた日」だと。

 

単に、夜が明けて、次の朝が来たのではなく、今日の日は、主が造られた日だと言われている。主が私のために造って下さった日なら、見方が違い、心が違って来る。この一日は、主の愛が注がれていて私のためのご計画があり、意味がある。そして「この日を楽しみ、喜ぼう」と言っている。

 

この二度と返って来ない、大切な、かけがえのない一日を、過去のあれこれをくよくよと悔やみ、自分を責め、堂々巡りし、つぶしてしまうだろうか。又、起きてもいない先のあれこれを、くよくよと思い煩い、心が暗く、沈んだままだろうか。今日の日は、新しい一日だと言われている。それは朝ごとに新しく、主の真実は力強いと。 

 

過去や先の思い煩い、又、目の前の事に飲み込まれてしまい、喜び、楽しむために、主が造って下さった今日の日を見失ってしまわないように。喜び、楽しもうとする事は、状況の善し悪しでなく、又、成り行きでなく、自分自身の選択であり、決意だ。祈って、一日を始めよう。

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雨の時は気分が沈み、心配事があればすぐに心は塞いでしまう。いつも喜ぶ事は自然には出来ない。朝毎に主に感謝し、新しい一日の恵みに期待していこう。備えられた一日を失ってしまわないように。

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係