「もし、私たちが自分の罪を言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださ います。」Ⅰヨハネ1:9 

ある人が、友人を傷つけてしまった。そして周囲にも嫌な思いをさせてしまった。自らの心を見る時、それは悪気のない、失敗というものではなく、醜い自我から出た事であり、はっきり自分の罪だった。祈りの中で、御霊により、罪を認めて、相手に謝罪するよう示された。自分の愚かさを認める事、謝罪する事は恥ずかしい、プライドが傷つく事であり、どうあってもしたくない事だった。

 

しかし、目の前の事態は自分の罪であり、平安が無く、心が苦しい。主に助けを求め、悶々の祈りの中で、心から悔い改める事ができた。そして示しに従い、相手と嫌な思いをさせた周囲の一人一人に謝る決心を与えられた。赦してもらえなくても仕方の無い事だ。勇気が要ったが、祈って、謝罪した時、相手は快く赦してくれた。

 

そして周囲の人々も同様だった。何と有難いことだろう。赦される事の、踊り上がるばかりの喜びと平安に心が満ちた。大きな経験だった。ある人は、主を信じ救われて、信仰生活を送る中で、ずっと昔に、万引きした事を思い出した。その事を悔い改めた時に、主が赦して下さった事が確信できて、喜びに溢れた。嬉しくてたまらず、店の人にも謝りたいと思った。

 

祈って決心し、店に行きその旨を話し、謝り、代金を渡した。すると店主は、それは驚いて赦してくれ、代金はいいからと。証しをし、トラクトを渡すと快く受け取ってくれた。その時、赦された事の、天にも上るような喜びと平安に心が満ち満ちた。

 

・・・・・・・・・・・・

信仰人生で数々の失敗をしてしまう。様々な罪を犯してしまう。自分の至らなさ、配慮の無さ、又、エゴゆえに犯してしまう。その時に、悔い改めにより赦されることの恵みを身をもって経験する。世には無い平安と安堵で心が満たされる。

 

行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係