「『立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。』しかしヨナは主の御顔を避けて・・」ヨナ1:2

ヨナは主からニネベ宣教の示しを受けた。しかしニネベはひどい敵国であって、ヨナは納得が行かず、従い難い嫌な事だった。港では、丁度ニネベとは反対方向行きの船があって、主に従わず、それに乗り、タルシシュに逃亡した。敵国に宣教したくないヨナの肉であり、肉は御霊に逆らう。しかしそのヨナを、主は決して見捨てられない。

 

主が大嵐を起こし、そこでヨナはくじで海に投げ込まれる事になる。しかし主は大きな魚を備え、ヨナを飲み込ませられた。結果的にこの後、ヨナはニネベに行くが、敵国人が悔い改めると機嫌を損ねる。ヨナの肉だ。ヨナは自らの姿だろうか。思い通りにならなければ、すねるだろうか。

 

ある青年の証しだ。家が店をしていて大変忙しく、家族が大変な中も、手伝いは面倒で嫌だった。手伝った方が良いとわかるが、そして御霊が促しておられると感じるが、どうしても嫌で、好きにしたくて、まさに主の御顔を避けて自転車で出かけた。すると信号の無い交差点で、車に危うくひかれそうになり、心臓が止まりそうだったが、間一髪で無事だった。主の御手をもろに感じ、即、御心に従うべく引き返した。主の関与に感謝し、喜び持って手伝いができ、家族がそれは喜んでくれた。

 

御心を行えた祝福に心から感謝した。ヨナは、ニネベの人々の救いのために大きく用いられた。又、主のご愛は、私たちがどのようであれ、決して変わらない。主の愛は不変だ。何というあわれみだろう。もし今、「御顔を避け」ようとしていたら、祈って主に顔を向けよう。

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自分の思う方へ行きたいしやりたい。肉はいつも御霊に逆らってくるが、主は御霊を通して語り続けてくださる。だから御顔を避けていても真の平安がない。神の深いご愛とあわれみに感謝だ。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係