「主は心の打ち砕かれた者の近くにおられ、たましいの砕かれた者を救われる。」詩篇34:18

信仰生活で、時に悩みにぶつかる。その問題はエリコの城壁のごとく、自分の前に大きく立ちはだかる。悶々と思い煩いに、飲み込まれてしまいそうだ。その悩みの最中は、出口の無いトンネルのように思える。真っ暗闇で何も見えず、先も見えない。試練は必ず出口があるトンネルだが、その渦中では永遠に続くように感じてしまう。

 

苦しくてたまらず、祈るのだが、その苦しみから逃れたいばかりだ。何とかここから出たい、痛みが無くなって欲しい、助けて欲しい、即、解決が欲しい。主に委ねることだと頭ではよくわかるが、しかし、委ねられない事が問題だ。底に、委ねようとしない頑なな自分がいる。頑固な自我がある。

 

祈りながらも、自分が立ってしまい、自分で何とかしようと、あれこれ、あれこれと考えは巡る。委ねられない。ある人が悩みがあり、考えると胸が苦しくてたまらない。委ねなくてはと「委ねます」と祈るが、しばらくすると、やはり考えていて胸が苦しくなる。又、「委ねます」と祈る。

 

その時は楽になったような感じがするのだが、やはり重苦しく暗い気持ちになる。それを繰り返して、自分は委ねられない事に、初めて気づかされた。頭では委ねる事が大切と、委ねたつもりなのだが平安は無い。つまりは自分が握っている。初めてその事に気づき、「委ねられません。握っています。」と自らの無力を認め、「助けて下さい」と心から祈った時に、自分が少しずつ少しずつ変えられて行った。

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先を知る事ができないのにぐるぐると思いめぐらし不安に襲われる。その度に主に問題を委ねられるよう祈ろう。自分の思う結果も主に手渡たして平安を得よう。主の助けを信じよう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係