信仰者になると、人生すべて順調で最後は天国で、めでたし、めでたしと終わるのではない。信仰者には試練があると、聖書の多くの箇所に出て来る。苦しい事や理不尽な事が起きる。苦しみは未信者にも起きて、信仰者も同じように起きる。だが大きな違いがある。神を信じる人は、どんなつらい事の中にも、そこに神を認めて行く。
悩みや問題の中にも、信仰により、すべての道で神を認て行く。そのまっただ中に神がおられ、試練を通して、神の助け神の愛、慈しみ、真実を実体験して行く。神を信じない人は、奇跡的な良い事が起きても、そこに神を認める事は無い。ただの偶然、ラッキーにすぎない。そこの違いだ。神を信じる人は何が起きようと、そこに神を認め、神の愛を信じる。
どんな問題が来たとしても、神を信じているから、その問題の中で、神に出会って行く。悲しみの涙の谷が、泉の湧く所となる。何をどうして良いかもわからない、まさにどん底で、神に出会う。そこに神がおられるからだ。もし、思い煩い、不安、怒りに飲み込まれていたなら、神以外のものを拠り所とし、頼りとしていないだろうか。
順境の時には、全く見えないが、逆境の時にこそ自らの本当の姿を見せられる。そこからこそ大きな祝福が始まる。神は、常に両手を差しだしておられる。まずは、ありのままを主に告げよう。恐れ、不安、落ち込み、どうもできず、祈れないと告げよう。そこから神視点へと、変えられて行く。
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苦しみの中で与えられる主の守りや慰めは、問題の中にいながら思わず感謝が溢れてくる。主に愛されていると実感するからだ。勇気が与えられる。順境の時にはわからない主の愛と守りを知れる。