「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ・・それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ」エレミヤ29:11

信仰者になると、人生すべて順調で最後は天国で、めでたし、めでたしと終わるのではない。信仰者には試練があると、聖書の多くの箇所に出て来る。苦しい事や理不尽な事が起きる。苦しみは未信者にも起きて、信仰者も同じように起きる。だが大きな違いがある。神を信じる人は、どんなつらい事の中にも、そこに神を認めて行く。

 

悩みや問題の中にも、信仰により、すべての道で神を認て行く。そのまっただ中に神がおられ、試練を通して、神の助け神の愛、慈しみ、真実を実体験して行く。神を信じない人は、奇跡的な良い事が起きても、そこに神を認める事は無い。ただの偶然、ラッキーにすぎない。そこの違いだ。神を信じる人は何が起きようと、そこに神を認め、神の愛を信じる。

 

どんな問題が来たとしても、神を信じているから、その問題の中で、神に出会って行く。悲しみの涙の谷が、泉の湧く所となる。何をどうして良いかもわからない、まさにどん底で、神に出会う。そこに神がおられるからだ。もし、思い煩い、不安、怒りに飲み込まれていたなら、神以外のものを拠り所とし、頼りとしていないだろうか。

 

順境の時には、全く見えないが、逆境の時にこそ自らの本当の姿を見せられる。そこからこそ大きな祝福が始まる。神は、常に両手を差しだしておられる。まずは、ありのままを主に告げよう。恐れ、不安、落ち込み、どうもできず、祈れないと告げよう。そこから神視点へと、変えられて行く。

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苦しみの中で与えられる主の守りや慰めは、問題の中にいながら思わず感謝が溢れてくる。主に愛されていると実感するからだ。勇気が与えられる。順境の時にはわからない主の愛と守りを知れる。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係