「御霊の一致を熱心に保ちなさい。」エペソ4:3 

ピリピの教会に、不一致の問題が記されている。パウロはユウオデヤとスントケに、主のもとに一致するようにと書き送っている。厳しい迫害があり、どうしても内部の一致が必要であった。一致し、志を一つにして行けるのは、「キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがある」からだと。

 

一致を妨げるものが、「何事でも自己中心や虚栄から・・」の通り、「自己中心」と「虚栄」だと。自己中心は、「私は・私の・私を」であり、どこまでも「私・私・私」だ。「私の考え・私の気持ち・私の意見」が重大で、それが重んじられず、受け入れられなければ、分裂となる。「虚栄」とはプライドであり、自分は特別であって、自分が認められたい。

 

そして、一致に必要なものが「へりくだり」だ。それは「互いに人を自分よりもすぐれた者と思う」ことで、「キリスト・イエスの思いを、思いとして行くこと」だと。私たちは皆、自分のメガネと物差しを持っていて、自分の思いが大切であり、固執してしまう。又、肉は自分の利得を求める。これが妨げとなり、相手を正しく見る事ができなくなる。

 

これを捨てる時に、つまり主に従う時に、偏見と独断が除かれ、相手の立場に立ち、理解して行ける。主は、神であられたのに、その栄光、特権の何もかもを捨て、ご自分を無にして、来て下さった。十字架の死にまで従われた。自分には出来ない事を認め、主を仰ぐ時、聖霊の助けが臨み、導いて下さる。

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自分が出来なくて主を仰ぐように、誰もが弱くて主に支えられながら歩んでいる。自分が自分がと思うときに気づきたい。主を仰ぎ、へりくだって歩みたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係