「きょう、もし御声を聞くならば、あなたがたの心をかたくなにしてはならない」ヘブル4:7

「聞き方」に注意するようにと言われている。イスラエルの民は皆、モーセから神の言葉を聞いていた。だが聞いた言葉が「信仰によって結びつけられ」ずに、最後まで神を疑い、結局は不信仰により荒野で滅ぼされてしまった。何のためにエジプトを出たのかわからない。モーセは神の言葉を語った。問題は、聞く側にあった。信仰に結びつける事が大切だ。

 

種蒔きのたとえで、種は御言葉で、土地は心だ。道ばたに落ちた種は土地がカチカチで、種は植わらず、悪魔が来て種を奪い去った。つまりは、先入観や偏見があると御言葉が入らない。又、他人事として聞く態度だ。自分の事として聞かないので、右から左へと素通りだ。まるで映画でも観るように、自分とは距離があり、関係の無い傍観者として聞いていないだろうか。

 

御言葉は、誰かへの言葉でなく、自分への言葉として受け取る必要がある。それが「良い地」だ。その時、必ず実を結ぶ。薄い岩地に落ちた種とは、喜んで御言葉を受け取るが、根が無い。根を張るのは地中だ。人に見えない、隠れた主との関係を培う事が大切だ。主との地道な交わりの生活が、根だ。根が無いと枯れてしまう。

 

いばらの中の種は、外部から伸びたいばらにふさがれた。外側のものにより生長が妨げられる。世の多くの事柄に心が奪われてしまい、主がおそろかになる。自らはどんな「聞き方」をしているか、振り返り考えてみよう。御言葉が、土地である心に、信仰によって受け入れられる時に、根づき、芽が出て生長し、豊かな実を結ぶ。 

・・・・・・・・・・・・

御言葉を聞く時は、祈りをもって聞こう。祈りがなければ、なかなかわからない。そして自分への言葉として聞くと同時に、どうであれ、従いますとの姿勢で聞く時に、御言葉がわかるようにされる。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係