「主よ。私の口に見張りを置き、私のくちびるの戸を守ってくださ い。」詩篇141:3

御言葉にある。「互いに悪口を言い合ってはいけません。自分の兄弟の悪口を言い、自分の兄弟をさばく者は、律法の悪口を言い、律法をさばいているのです」の通り、悪口は罪だとわかりやすいが、うわさ話は、軽く見てしまう。だが悪口と共に、うわさ話は、本人不在の中で、陰で言われる陰口だ。ということは、もし間違った情報であっても、本人は訂正できないし、反論もできない。

 

であれば、事実は確かではないのだから、そのまま受け入れるのはどうだろう。又、そのうわさ話の自らの「動機」は何だろう。「動機」を見る事は大切だ。その人の利益だろうか、その人を建て上げ励ます事になるだろうか。それとも不利益だろうか。ある説教者が言った。「うわさ話は、三者を傷つける。言う人と、聞く人と、言われている本人を」。

 

「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません」「たきぎがなければ火は消えるように、陰口をたたく者がなければ争いはやむ」と。有害なうわさ話が来たなら、自分の所で止めることができる。広めない事ができる。雑談が、無益なうわさ話の方向に行くようなら、進路変更して行くことができる。

 

もし自分がその人の立場だったら、どうかを考えよう。「軽率に話して人を剣で刺すような者がいる。しかし知恵のある人の舌は人をいやす」。御霊の助けにより、舌が人をいやすために用いられたらどんなに幸いだろう。くちびるの戸が守られるよう祈っていよう。

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舌は両刃の剣だ。殺すことも、生かすこともできる。悪い言葉は人を深く傷つけるし、励ましや慰めの言葉は人をいやし、勇気づける。言葉は心から出て来るので、心が御霊に導かれ、御霊の支配ゆだねて行けるよう祈ろう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係