「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています」ローマ7:18

ある人が、友人に誘われ、初めて教会に行った時に聞いた「救われる」との言葉に、「救われる」って何? ギヨッ!としたと。そして「あなたは罪人です」との言葉に、何という失礼な事をと。自分は犯罪を犯した事は無く、真面目に一生懸命に生きて来た。それが何で?と。だが、不思議に何か教会や聖書に心ひかれるものがあり、友人と通うのは楽しかったし、聖書の学びを続けていた。

 

その中で、ずっと耳を離れなかった言葉、「罪人」ということを考えた。御言葉の学びと併せて、思いが巡る中で、今まで全く考える事など無かった、心の内側に思いが至った。自分は、福祉に携わっていて、人々のために、身を粉にして懸命に頑張っていると思っていた。周囲にもそう思われていた。良い人であり、皆に賞賛され、感謝されていた。

 

しかし心の内をよく見た時に、醜い自分に気づかされた。自分は、他の人のようではなく、良い人間だと思っている。だが、表には出さないが、人が思い通りにならないとイライラし、腹を立て、相手を見下し、さばく、冷ややかな自分がいた。又、良い人だと思われたい、認められたい、人に賞賛されたい自分がいて、そのために人に親切に振る舞う。それならすべて自分のためではないか。自我、自己中心に愕然とした。

 

パリサイ人が、私は、取税人のようでないことを感謝しますと祈った箇所で、自分だと思った。御霊により、罪につき、義につき、さばきにつき教えられるとあるが、まさに御霊により、「罪人」であることを教えられ、主のもとに導かれた。友人がずっと祈ってくれていた事も、感謝な事であった。

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外はつくろえても内側は肉の思い通りにしたい。主は御言葉を通し、御霊によって肉の思いは死であると気づかせてくださった。罪をひとつひとつ認めると主は、常に励ましてくださる。御霊に導かれて歩もう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係