「しかし、良い地に落ちるとは、こういう人たちのことです。正しい、良い心でみことばを聞くと、それをしっかりと守り、よく耐えて、実を結ばせるのです。」ルカ8:15

主は、私たちに、御声をかけ続けて下さっている。礼拝説教や、学びや、自分で聖書を読む時に。毎週礼拝で、御言葉を聞いているが、どのように受け取っているだろうか。物理的に、耳に聞こえているが、心の耳に入っているだろうか。拒否する気はなく、聞きはするのだが、漠然と聞いていると、心に御言葉の種が植わる前に、悪魔に奪われてしまう。

 

御言葉を拒否する気は毛頭無いので、逆に気づかない。右から左に流れて行く。なぜ聞こえないのだろう。それを真剣に受け取るつもりがない、つまり、従うつもりが無いだろうか。聞く事は支障がないので、良いお話と聞くが、犠牲を払う気は無い時、心が受け取らない。そのため、傍観者的聞き方になってしまう。

 

犠牲が必要な御言葉は、無意識に除けてしまう。御言葉が、心にぐいぐい臨む時は、真剣に御言葉に向き、従おうとしている時だ。自分が変わろうとの思いがある時、御言葉が響いて来る。種蒔きの例えの通り、自分の心の態度は重要だ。

 

表向きは聞いているが、心の奥では拒んでいるだろうか。うすうす感じているかも知れない。成長は気づきから始まる。御霊の働きだ。どんなに従わずとも、今まで決して見捨てず、愛し慈しみ続けて下さった主を覚え、今こそ従おう。

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都合の悪い事は聞き流したくなるが、主の御言葉には、しっかりと立ち止まり受け取りたい。主は決して離さず愛をもって育ててくださる。幾つになっても成長していきたい。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係