「あなたは私のともしびをともされ、主、私の神は、私のやみを照らされます。」詩篇18:28

ある人が、隣家の主婦に悩まされていた。何かにつけて、自己主張をはっきりして来て、苦手だった。自分自身も弱さがあり、「ノー」が言えず、段々とお隣さんが苦痛になっていた。歯に衣着せぬ物言いに、傷つくこともしばしばだった。隣なので、逃げることも出来ず、顔を合わせたくない日々となっていた。

 

しかし自分はクリスチャンであり、相手のどんな言動や態度にも、礼儀正しく、丁寧に接するよう努力した。何とか良い関係をと祈り、接するのだが、やはり傷ついてしまい、ますます嫌になり落ち込んだ。つらくて涙ながらに祈る事もあったが、そんな折、急遽引っ越すことになった。突然の思ってもみない事だった。引っ越し業者に荷物を任せ、自分は列車で向かった。

 

様々な思いが巡り、祈りつつ、今までの事を思い返していた。苦しい状況は、もう終わったはずなのに、自分の心は、何か晴れなかった。そんな中で、御霊の光が臨んだ。相手が問題で、相手がきつい人で、自分は被害者だとずっと思っていた。しかし初対面の時から、好きではない、嫌な相手だと思い、相手を拒否し、受け入れていなかったのは自分だとわかった。

 

自分がずっと裁きの目で見ていたと。自分の内側など全く気づかなかった。心の中で、悔い改めの祈りをした。その時、初めて心がすっきりし、晴れやかになり平安が来た。自分の内側を御霊は照らし出して下さり、正しく導いて下さる。

------------

自分の内側の闇は主の光によって顕わになる。なぜこういう気持ちが続くのか心の奥の本音が、もし悔い改める罪があるなら悔い改めたい。主は闇を照らしてくださる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係