カインとアベルは各々献げ物を、主のもとに持って来た。その時、アベルの献げ物は受け入れられ、カインの献げ物は受け入れられなかった。それにより、カインは怒った。怒るという事は自体が、自分の方が正しいとする態度だ。主をどこまでも正しいとするなら、自分の側に何か間違いがあると受け取るはずだ。
しかしカインはそうでなかった。自分の側の問題を認めず、受け入れない主に対して怒った。主を正しいと認めないので、アベルをも認めることができない。そのため受け入れられたアベルにひどく嫉妬し、激しい憎悪を向けた。「あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる」とあり、つまりはカインは正しく行っていなかった。
もし動機が正しければ、良心にやましいところが無ければ、真っ直ぐに立っておれる。「あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。」間違っていたなら、悔い改める事ができる。悔い改めなければ、罪に支配されてしまう事になり、罪に罪を重ねてしまう。
悔い改めなかったので、カインはアベル殺害へと至ってしまった。しかし殺害後も、主は「アベルはどこにいるのか」と、なおも悔い改めの機会を与えられる。主はあわれんでいて下さる。神のあわれみは尽きない。カインは主のもとへ行き、御心に従い、献げ直すことがができた。私たちも間違ったなら悔い改め、赦されて、軌道修正され、方向変換し、御心へと歩んで行ける。
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日々の生活で、御霊が気づきや示しを与え、主の御心へと導いて下さっている。無視したり、ないがしろにする時に、罪へと進んでしまう。そこで、ありのまま祈ろう。「従えないです、心がどうにもならず、助けて下さい」と祈ることができる。