「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行わない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます」 マタイ7:24

岩の上に家を建てた賢い人と、砂の上に家を建てた愚かな人の話が出てくる。御言葉を聞いて行う人が、岩の上に建てた人で、御言葉を聞くが、行わない人が砂の上に建てた人だと。砂の上に建てた人は、御言葉を聞く事は嫌ではなく、拒否反応もなく、むしろ良い事と思い聞く。

 

しかし、聞くには聞くのだが、その御言葉を行わなければ、それが砂の上に建てられた家だと。例えば、「神の国とその義とをまず第一に求めるなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」との言葉を受けた場合に、岩の上に建てる人は、その通りに主を第一にして生きて行く。

 

しかし砂の上に建てる人は、御言葉でなく、自分の思い、考え、価値観の方を第一にする。そのため、主は二の次で、後回しだ。まず「これらのもの」=食べる物、着る物、生活の必要の方を第一に求めて、走り回る。御言葉より自分の考えを優先させる。常に自分で何とかしようと画策する。一見、御言葉も喜んで聞くので、岩の上に建てた人と同じように見える。

 

土台は見えないので、外観は同じだ。何も無い順境の時は同じだが、逆境の時、試練の時に、天と地ほどに違ってしまう。岩の上に建てた家は、決して倒れないが、砂の上だと倒れてしまうと。しかもそれはひどい倒壊だと。聞いた言葉に信仰もって従って行く時、人生に何があっても倒れる事はない。

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何より不安定なものが自分の感情や価値観ではないか。すぐに目の前のことに影響されて危うい。主の御言葉によって支えられ確実な歩みを続けたい。御言葉を選び従っていこう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係