「私は声をあげて、主に呼ばわる。すると、聖なる山から私に答えてくださる。」詩篇3:4

ある人が、教会で子どもクラスを持っていた。一人の子どもが、何かと妨害する。祈って、愛そうとするが、又、他の子たちに嫌がられる事をする。注意すると反発する。ついイラ立ってしまい、祈っていた。毎週続き、他の子たちにも影響する。解決策も見当たらず、困り果て、切に祈っていた時に、ふと家庭訪問の思いが来た。祈りの答えと従った。

 

すると母親には、日頃の感謝を告げられ、家に招き入られた。心を割って、彼の生い立ち、境遇、複雑な家庭事情を話してくれた。驚き、よくこれくらいで済んでいると思えたほどだった。見方が変わってしまい、それ以後、良きに導かれて行った。御霊の働きだった。

 

又、ある人は、職場に、言葉にとげがあり、きつい相手がいた。しかし自分はクリスチャンであり、穏やかに対応するものの、傷つき、嫌な思いをしていた。その思いは段々高じて行った。そのため祈り、日々に祈っていた。そんな中、ランチに誘っては、との思いが与えられた。御霊の導きを感じ、どうであれ従おうと、行動に移した。

 

すると相手は普通にOKで、楽しい交流とされ、その中で、そのとげが、彼女の複雑な経歴から来ていることがよく理解できた。別に自分への個人攻撃でない事も理解できて、不思議に気にならなくなった。大事、小事、とにかくまず祈りに持って行こう。主を呼ぼう。御霊は導いて下さる。そして示された事に従うと、平安に変えて行って下さる。

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いつも目に見える表面的なことしか理解できない者で、的外れな悩みを抱えているかもしれない。主に導きを祈ろう。主は必ず良い道を用意してくださっている。主に明け渡し従おう。 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係