「渇く者は来なさい。いのちの水がほしい者は、それをただで受けなさい。」黙示録22:17

サマリヤの女性は、5回結婚し、5回離婚し、現在は結婚ではなく、同棲していた。彼女は心に空洞があり、その穴は、男性によって埋められるものと信じた。そのため結婚を繰り返した。離婚を繰り返すのは、この相手だからうまく行かないのであって、別の相手ならうまく行くに違いないと信じたためだった。別の男性ならと、5回の結婚を重ねた。

 

しかし心の穴が満たされる事は決して無かった。「この水を飲む者はだれでも、また渇く」。主は彼女の空洞を、深い渇きをご存じで、彼女のために「サマリヤを通って行かなければならなかった」。永遠のいのちへと湧き出る水を与えるために。そして彼女は主を信じた時に180度変わり、渇きが止まった。

 

ザアカイも富が自分を幸せにしてくれると信じ、トップにまでのぼりつめた。莫大な富は手にしたが、心に描いたものは得られなかった。虚しく、孤独で、満たされる事は無かった。富は自分を幸せにはしてくれなかった。ひたすら主に会いたい一心で、木にまで登った。主は、そのザアカイの渇き、虚無、孤独、切なる求めをご存じであった。「ザアカイ」と名を呼ばれ、向き合って下さった。

 

人々に嫌われ、さげすまれ、誰にも向き合ってもらえなかったザアカイは、どんなに驚いただろう。主を心に迎え入れた彼は、喜びと平安に満たされた。主はザアカイを選んでおられた。主はあなたに目を留め、あなたを極みまで愛し、「高価で尊い」と言われる。渇きがあるなら、主はあなたのその心をすでにご存じだ。主のもとへ行こう。

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心の底にある渇きや欠乏を主は知っていてくださる。そして責める事なく呼びかけて、渇かないいのちの水を与えてくださる。主の招きに素直に従おう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係