ダビデは、主の示しによりペリシテ人を打って、ケイラの住民を救った。その後、サウルがダビデを追い、ケイラに迫っている事を知った。普通なら、ケイラの人々を助けたのだから、当然、サウルに追われているダビデを助けてくれると思う。だが、殺害を何とも思わないサウルは、ケイラの人々を平気で虐殺するだろう。
ケイラの人々もそれを恐れ、ダビデを引き渡すかも知れない。ダビデは、その事を祈りに持って行き、主に問うた。すると、ケイラの人々はダビデをサウルに引き渡すとの答えだった。そこでダビデと部下600人は、すぐにケイラから出て、あちこちとさまよった。ダビデがケイラから逃げたと知ると、サウルはダビデ討伐をやめた。
ダビデは、荒野や要害や、ジフの荒野の山地に宿ったりした。サウルは執念深く、しつようにダビデをつけ狙ったが、主が、ダビデをサウルの手に渡されなかった。私たちもダビデのごとく、常に祈り御霊の判断を仰ぐことが大切だ。こちらが助けたのだから、当然、助けてくれるだろうというのが普通の判断だ。
しかしダビデが肉の判断で動いていたなら、大変な危機を招いていただろう。人間的判断で、行動してしまうと誤ってしまう。問題に引き込まれる。御霊の判断、導きに目を向け、祈り心でいよう。主は心へと導いて下さる。主の御心の中心にいることが、一番の安全だ。
------------
肉の目で見ると自分の都合の良いように御心を受けとり迷い込んでしまう。たとえ荒野の山地でも主の御心の中心が一番安全だ。誤りのない御心を尋ね御言葉に聞き、祈ろう。