「私は今、あなたのしもべイスラエル人のために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエル人の罪を告白しています・・」ネヘミヤ1:6

ネヘミヤは、ハナニから、エルサレムの城壁が崩され、門は火で焼き払われた状態である事を聞いた。その時、座して泣き、喪に服し、断食して、祈った。悔い改めをし、祈る中で重荷が加えられ、4ヶ月後に王の前に出た。しおれた悲しい顔で、王の方からネヘミヤに尋ねた。心に悲しみがあるに違いないと。この時、ネヘミヤは、王に率直に心の内を話した。

 

すると、王は「あなたは、何を願うのか」と。王はネヘミヤの重荷を察した。そこでネヘミヤは、ユダの地へ送り、再建させて欲しいと願った。王は願いを聞き入れ、快く送り出してくれた。ネヘミヤは、まずエルサレムの悲惨な現状を知った。私たちの信仰生活も同様だ。まず目の前の問題を見せられ、重荷が与えられる。まず知らない限り、重荷の持ちようがない。

 

そして具体的にそれを祈りに持って行く時、更に重荷が増し加えられる。ネヘミヤは重荷が増す中、何かをしたいと願った。するとその願いは答えられ、主により、環境が目の前に次々と開かれて行った。そしてすべての必要が備えられた。私たちもまず現状を正しく認識するところから重荷が生じ、祈りによって更にその重荷が増し加えられ、具体的に行動するように導かれる。

 

あなたにも今、主が見せておられる状況があるだろうか。まずは、それを祈りに持って行こう。祈りを積む中で、導きを与えられ、なすべき事が示される。その御心に従うと、主の大きなみわざを見て行く。

 

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主は、私たちの内に志を与え、主が行う力を与えられる。自分の力ではない。主は、信仰生活で、崩れていて、再建すべき箇所をまず見せて下さる。重荷が与えられ、祈りが与えられ、行動する力を与えて下さる。御霊の気づきが感謝だ。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係