「この病気は死で終わるだけのものではなく、神の栄光のためのものです・・」ヨハネ11:4

ラザロが危篤で、マルタは使いを主に送り「病気です」と伝えた。それさえ一言伝えれば、主はすぐに来て下さると思った事だろう。しかし主は、「この病気は死で終わるだけのものでなく、神の栄光のためのもの」と言われ、なお二日とどまり、ラザロの死を確認してから動かれた。家に着くと、マルタは「もしここにいて下さったら、兄弟は死ななかった」と。

 

マルタは将来のよみがえりは理解しているが、今、主がラザロをよみがえらせるとは信じていない。病気を治す事は信じられるが、死からのよみがえりは、到底信じる事ができない。マリヤもマルタと同じ言葉を言った。「ここにいて下さったら、兄弟は死ななかったのに」と。いっさいを断ち切ってしまう「死」の前には、絶望であり、泣くしかなかった。

 

しかし「あなたの兄弟はよみがえる」と言われた主は、ラザロの墓の前で「石を取りのけよ」と。死後四日になり、もう腐敗していると言ったマルタだが、主に従い、言われる通りに、墓の石を取り除けた。信仰が行動となった。すると、ラザロはよみがえった。

 

ラザロのよみがえりを通して「わたしは、よみがえりです。いのちです」と、主ご自身が死に勝利されている事をあらわされた。そのため病気の癒やしでなく、死でなくてはならなかった。それは「神の栄光のため」「神の子が栄光を受けるため」であり、「あなたが信じるようになるため」であった。

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病は癒えてもやがてこの世の死は訪れるが、主を信じている者は死からいのちに移っている。喜びをもって今日を生き、望みをもって死を迎える。何という感謝か。

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係