「しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべての中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです」 ローマ8:37

私たちは、時として試練に会うが、苦しみの中で、どうにかして早く目の前の問題を解決して欲しい、ただただこの願いばかりだ。ああしたい、こうしたいと自分の思いがあり、そのように祈る。願いを主に告げるのは良い事だが、ただ大切な事は、目の前に来る問題は、主の目的と意図がある。それゆえ、この問題を通して、主ご自身を知り、更に深く主の愛を知れるように祈ろう。

 

実際、主の愛に触れる時、どんなに苦しい中でも、どんなに困難な状況でも乗り越えて行ける。ある人が、対人関係の悩みの時に、深く取り扱われたと証しした。この試練は主から来ていて、自分のための取り扱いだと、模範的クリスチャンのように言っていた。しかし心の奥では、激しい怒りがあり、恨みがあった。

 

自分には間違いが無い、自分は正しいと思っている。そのため心では相手を裁いている。そして自分を正当化し、悪いのは相手で、自己義認に立つ自分。しかしその事に全く気づかなかった。だが祈り続ける中で、主はあわれみ、自らの本当の姿を見せられた。何という罪深い自分。

 

その時、彼らは何をしているのかわからないのですからと、主の赦しの大きな愛に触れ、主の十字架の意味が新たにされ、目の前に迫り来た。一つ一つの悩み、問題は、主の愛を新たに知る機会だ。今、問題があるなら、主を新たに知れるように祈ろう。

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問題を通して主との深い交わりが与えられる。十字架が現実の自分自身と結びつくなら問題の中にあって主の大きな慰めだ。問題はつらくても既に勝利を受け取っている。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係