「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」 ガラテヤ6:7

アブラハムは、主から子どもを与えるとの約束を受けたが、現実には、待てども待てどもなかなか与えられなかった。当時の風習では女奴隷により、子をもうけるのは普通の事であった。そんな状況で、サラは、自分は子を宿す事ができないので、女奴隷によって子を持つ事が御心ではと考えた。サラの方からアブラハムに提案した。

 

彼も妻からの申し出という事で、受け入れた。その時に、主を仰がず、祈らずに肉で動いてしまった。その結果、ハガルは妊娠した。しかし神の秩序が狂うと、必ず様々な問題と悩みを引き起こす。みごもったハガルは高慢になり、優越感で、不妊の女主人サラを見下すようになった。サラは激怒し、ハガルに反撃し、いじめた。ハガルは余りのつらさに、そこにおれずに逃げ出した。

 

そのハガルに荒野で、主の関与があった。「女主人のもとに帰り、彼女のもとで身を低くするように」と。そして、「あなたの子孫は、わたしが大いにふやすので、数えきれないほどになる」とも言われた。ハガルは、主の示しに従い、へりくだって、女主人サラのもとに戻った。そしてそこでイシマエルを産んだ。

 

肉の行いには、必ず刈り取りがある。又、ハガルは奴隷であり、その主人に対して、何の権利も持たず、立場上どうにも出来なかった。そこに責任は無いが、しかし自らの態度には責任がある。へりくだって主の御心に従うことが、一番平安な道であり、必ず豊かな実を結ぶことになる。

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いくら正当化しても、肉ですることの底にはいつも自分が中心にいる。その日その日の感情に動かされ右往左往するばかりだ。へりくだり神を認め、御心を祈りたい。折にかなった助けを祈ろう。 

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係