「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだけの者であってはいけません」ヤコブ1:22

信仰生活を送る中で、教会に行っては、御言葉を学んでいる。しかしその聞いた御言葉が、それはそれ、これはこれと、実生活とは別物になってしまっているだろうか。聖書の言葉と、実際の生活がリンクしていない。切り分けられてしまっている。肉の思いも入って来る。

 

御言葉通りにするなら、この世ではやって行けないと思ってしまう。人にどう思われるだろうか、変に思われるのでは、恐れに襲われる。教会は教会、この世はこの世と、そのつど合わせてやって行く。白、黒はグレイにしておいた方がうまく行く。まさつさえなければ良い、すると、どんどん神の聖さや真実から、かけ離れて行ってしまう。聖いものと俗なるものが、鈍くなって行き、段々わからなくなってしまう。

 

御言葉と実際の生活が、別ものになっていないだろうか。御言葉は「はい、はい」と聞いているのだが、現実生活では、この世の価値観で生きているだろうか。しかし御言葉を拒否するわけでなく、聞いているので、それに気づかない。神が、必要は必ず与える、神に頼れと言われるのだが、本音では、お金が生活を、老後を保障してくれると思っている。神と言っても、結局は、お金が大事。

 

弱さの中に神の力が現れる、弱さが恵み、と言っても、本音では能力のある事、強い事、力のある事が善と思っている。実は、御言葉とかけ離れた世の価値観で生きているだろうか。御霊の気づきから豊かな祝福は始まる。まず実生活で、御言葉を一つ、又、一つと具体的に行ってみよう。身をもって従って行く時に、自分が変えられて行く。

 

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御言葉に従おうとする時に初めて、従えない事に気づかされる。愛せよと言われても愛せない、祈れと言われてもなかなか祈れない。御霊の気づきが感謝で、愛せない、祈れないと主に向かって行ける心の内側の様々な気づきが与えられ、主は一つ一つ導いて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係