「私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。 私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」詩篇32:5

聖書には、信仰の偉人たちの手痛い失敗も、そのまま記されている。世の書物なら、都合悪い事柄は表に出さず、隠すところだ。だが赤裸々に出されている。アダムとエバは、神に逆らい罪を選んだ。アブラハムは妻を妹だと偽り、又、神の時を待てず、ハガルによりイシマエルを産み出し、重大な失敗をした。

 

イサクも父と同じ嘘をつき、ヤコブは、父と兄を欺いた。モーセは40歳の時に、人を殺してしまい、逃亡した。出エジプト後には、怒りのため岩を二度打つ罪を犯し、約束の地に入れなかった。アロンは、金の子牛の偶像を作るという、大きな罪を犯した。ダビデは姦淫の上に更に殺人の罪を重ね、ペテロも弟子たちも主を裏切り、主を捨てて逃げ去った。

 

主は、それらを失敗をことごとく悔い改めに導き、赦され、なおも愛は決して変わらず、愛し続けられた。どんな失敗をしたとしても、絶対に見捨てられる事はない。アブラハム、イサク、ヤコブは豊かに祝福され、モーセは主エジプトの大役を果たし、ダビデは詩篇を記し、ペテロは諸教会のリーダーとして活躍した。

 

失敗した時は、原因を考えてみよう。失敗から学べと言われる。自分のどこに弱さがあり、自分の何に触れているのか。プライド、虚栄心、貪欲・・、失敗を繰り返す事から守られる。落胆せず、主の豊かな赦しを受け取ろう。主はあわれんで下さる。どんな時でも、もう一度立ち上がり、やり直すことができる。

------------

罪を赦されることは、はかり知れない恵み、立ち上がる力だ。赦しを受けとり主と交わることができる。失敗から学ぼう。なおも尚も愛してくださる主を愛して歩める。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係