「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい・・」 マタイ6:33

私たちは日々、何を求めて生きているだろう。つまり何を喜びとしているだろう。仕事、家族、趣味、名誉、地位、人からの賞賛、又は、自己実現を求めているだろうか。愛する人、富、楽しい生活・・人によって様々だ。多くのことは、それ自体は決して悪いものではない。むしろ良いものだ。しかし優先順位はどうだろう。

 

主を求めるよりも、それ以外のものが第一になっていて、主が二の次、後回しになっているだろうか。すると様々な障害が起きて来る。主の秩序があるからだ。まず主ご自身を第一とし、喜びとして行く時に、仕事も、趣味も対人関係も、生活の楽しみも、正しい位置に置かれて行く。

 

主を第一にするなら、それに加えて生活の必要物はすべて与えられる。そして主を自らの喜びとして行く時に、心の願いを叶えて下さるとある。主を第一にし、自分の栄光でなく、主の栄光を求めて行く時、動機が修正され、変えられて行く。ある宣教師が、一生懸命に宣教し、人が来れば喜び、来なければ、ひどく落胆した。

 

成果があれば喜び、無ければ失望する。宣教は困難であり、失望の方が大きくなる。だがそれなら成果に一喜一憂し、アップダウンし、成果を喜びとしていて、主ご自身を喜びとしているのでは無い事に気づかされた。主でなく、主が下さるものを喜びとしている。それなら、願いが叶わない時、必ず失望し不満になる。

 

成果でなく、主が与えて下さるものでなく、主を第一とし、主ご自身を喜びとして行く時、成果がどうであれ、喜びがある。主以外のものを拠り所としていないだろうか。

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祈って向かいながらも成果が良ければ、結果そのものに目が奪われ主の御心を悟ることができない者だ。平安を失うときには気づきたい。主を愛し主による生活をする者になろう。 

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係