「カインのようであってはいけません」と言われている。カインはアベルを殺してしまったのだが、なぜ兄弟を殺したのか。自分の行いは悪く、兄弟の行いは正しかったからと。単なる兄弟げんかではなく、主への献げ物のことだった。アベルの献げ物は受け入れられ、カインの献げ物は退けられた。
カインは激怒し、その怒りが、献げ物が受け入れられたアベルへと向かった。それは妬みとなり、妬みは憎しみへと増幅した。その結果、カインは殺害という大変な罪を犯してしまった。アベルは最良の雄羊の初子を、それも自分自身で持って来た。それは、アダムとエバに皮の衣を着せて下さったように、犠牲の動物により神に近づける事を示されていたので、全焼のいけにえを献げた。
自分自身で礼拝行為として献げた。それはアベルの信仰によることだと。しかしカインはそうでなかった。主も、正しく行ったのであれば、受け入れられると言われた。カインも、顔をまっすぐ上げいたのでなく、「顔を伏せていた」、つまり正しく行えていなかったわけで、そこで、悔い改めて、献げ直せばよかった。
主は、罪は戸口で待ち伏せしているので、それを治めよと警告されたが、カインは、罪に支配を任せてしまった。私たちも、主に拠り頼み、罪は悔い改めて、悔い改め続けて、歩もう。常に悔い改めの機会が与えられている。そして豊かな赦しが備えられている。カインのようになるなと、言われている。
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正しい人を見ては妬み、自分が正しいと思えば傲慢になり、どこまでも陰険だ。でも罪を示されたなら素直に悔い改める道がある。悔い改めて、悔い改めて正しい主との関係の中にいよう。