「地震のあとに火があったが、火の中にも主はおられなかった。火のあとに、かすかな細い声があった」Ⅰ列王19:12

エリヤが450人のバアルの預言者と400人のアシェラの預言者と戦い、天から火を降らせるという、大勝利を遂げた。その後、心身消耗に陥りうつ状態となり、死を願うようになった。過度の疲労で限界状況だった。エリヤはこの危機にどう導かれたのだろう。「死にたい」と言ったエリヤを、主は、一言も責められない。何と大きな慰めだろう。

 

私たちも、程度の差はあれ、日々の生活で、仕事に、家事育児に、対人関係に、時に疲れ果てる。すべてが重荷となり、気力が失せ、早く天に帰りたいと思うほど、落ち込むかも知れない。だがそんな時、主は深くあわれみ、同情して下さっている。エリヤをとがめも、責めもせず、思いやり、いたわり、休息を与え、食事をさせられた。

 

充分眠らせ、まずは心身を休ませ、回復を与えられる。極度のストレスに陥ると、正常な思考が働かない。必要なものは、まず休息だ。パンを食べ、水を飲んだ。主ご自身が命のパンで、命の水であられる。新たなる力を得て、エリヤはホレブ山まで歩いた。ほら穴でひきこもっていると、そこを出て、山の上に立ち、主の前に立てと命じられた。

 

主は細い声で、御言葉を語り、エリヤの間違った思い込みを訂正され、新たなる使命を与えられた。再び、立たせられた。今、疲れているなら、深く理解し、思いやって下さる主のもとへ行こう。休ませて下さり、そして御言葉を与えて下さる。主のかすかな細い御声に、耳を傾けよう。

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深い憂いに沈み自分の方へ向かう思いをゆっくり主に向けてみたい。いつも不完全な者で自分の思い込みは間違っているかも知れない。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係