「エリヤはだれのところにも遣わされず、シドンのサレプタにいた やもめ女にだけ遣わされたのです。預言者エリシャのときに・・シリヤ人ナアマンだけがきよめられました。」ルカ4:26

ここに、エリヤの言葉に従った、貧しいやもめと、エリシャの言葉に従った将軍ナアマンが出て来る。どちらも、従う事が難しい状況だった。やもめは、ききんの中、食料が無くなり、最後の一握りの粉で、子どもと共に食事をして、死ぬのを待つばかりだった。何という事だろう。

 

らい病のナアマンは、エリシャにいやしを求めて会いに行くが、エリシャは顔も見せず、使いの者に伝言させた。ヨルダン川で7度身を洗えと。ナアマンは激怒だ。ナアマンは将軍でありプライドが許さなかった。それぞれにとり、厳しい状況であった。だが困難な状況下で、どちらも神の言葉に従った。

 

やもめは、言われた通りに、最後の粉と油で、まずエリヤにパン菓子を作った。彼女はエリヤの言葉に従った。ナアマンも怒って帰ろうとしたが、しもべの進言があり、それを聞き入れ、エリシャの言葉通りに従った。すると奇跡が起きた。やもめは、ききんの間中、かめには粉が尽きず、つぼには油が無くならなかった。そしてナアマンは見事にらい病がいやされた。

 

ナザレの人々は、主を「ヨセフの子ではないか」と、メシヤと認めず、心が頑なで、全くの不信仰だった。だがやもめとナアマンは異邦人ながら、主の言葉に従い、大きな祝福にあずかった。私たちも肉の目で御言葉を見るなら、人間的にしか見えない。そんな事、あり得ない、出来ないと。しかしそうでなく、信仰持って従えるよう祈ろう。従えるように助けて下さる。

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主のあわれみにすがろう。主の御言葉に感嘆しても、他人事として流すなら何もわからない。信仰を持って従い主が与えてくださった恵みを経験していこう。力強く主を賛美して歩める。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係