「・・何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」ルカ5:5 

ペテロは、夜を徹して漁をし、一匹もとれなかった。主は湖岸で群衆に御言葉を語る中、ペテロは背を向け、網を洗っていた。その時、主は、舟を岸から少し出すよう頼み、舟の中から語られた。ペテロは、疲れた身体で引き受けたが、主は、話が終わると、沖へ出て、網をおろし魚をとるよう言われた。え? 魚は、日中はとれない。

 

見える所と、主の言葉が相反する。どうすればよいのか。ペテロは、「でも、おことばどおり」、主の言葉に従い、網を下ろす方を選んだ。すると驚くばかりの大漁だった。常識では、いるはずの無い魚がいたのだ。ある宣教師が、ある月、母国からの送金が少なめだった。家賃、光熱費等、様々経費を支払うと、余り残らず、どうしたものかと、とにかく切に祈っていた。

 

すると遠方への訪問予定があり、以前より交通費等を準備していたが、相手の都合でキャンセルになった。それを生活費に回せると、これは祈りの答えと喜んだ。だが突然の体調不良で、病院通いが入り、想定外の出費となった。せっかく与えられたのに、これは一体どういう事かと、御心を求めて切に祈った。

 

すると、何と更に献げるよう示されたのだ。え? もう底をつきかけてるが、しかし従う決心をし、示しに従った。するとその直後、説教奉仕依頼があり、その教会で愛の献金があり、何と必要経費すべてが満たされたのだった。主の示しが、状況と相反しても、「おことおばどおり」従おう。

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主の御言葉の通りにするためには、自分の経験値や価値観を主に渡さなければできない。この当たり前の事ができない。まず自分で考え込んでしまう。自分自身をすっかり主に委ねる事から祈りたい。 

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係