「まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。」詩篇22:24 

ある人が、経済的苦境に陥り、家に貯えも無く、手持ちも底をついてきた。大変な思い煩いに襲われる。心が苦しくて、どうにかなりそうだ。更に、夫は自分勝手に思えて、涙が出る。育児の悩みや問題も、様々目の前にあり、もう許容量オーバーになり、とにかく一人になりたくて、車で家を飛び出た。

 

家から離れるべく、幹線道路をひたすら走った。涙がにじんで来る。数時間走りながら、苦しい心で、心底主に叫んだ。すると、「私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。」との御言葉が迫って来た。

 

しかし心がつらくて、なおも走り続けていると、「私たちすべてのために~」「私たちすべてのために~」と御言葉がどんどん追いかけて来る。「ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方~」。どこまで、どこまでも御言葉が追い続けて来て、主の愛が迫り、主に捕らえられ、とうとう「神様ごめんなさい」とUターンし、家へと引き返した。

 

どこまでも追いかけて下さる主の暖かい愛が心に迫り、今度は恵みの涙が溢れた。あれほど荒れすさんだ嵐の心が、すっかりなぎになり、平安になってしまった。帰宅すると、夫が心配し、何と夕食を作って待ってくれていた。家族で食卓を囲み、恵みの涙がにじんだ。

 

叫びに答えて下さる主を間近に感じ、心が満ちた。主を呼び求め、助けを求めて主に叫ぶ時、主は聞いて答えて下さる。主に呼ばわろう。

 

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主は、悩む者のどんな悩みもさげすまれず、嫌がることもされないとは、何と有難いことだろう。どんな悩みも受け止めて下さるとは

人に言えないことも、一人で悶々とする事も、すぐに主に持って行こう。愛し、受け止め、平安へと導いて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係