「肉の思いは死であり、御霊による思いは、いのちと平安です。」 ローマ8:6

肉の思いとは、どんなものだろう。自己中心的な考え、ネガティブな考え、肉的欲望だとは想像がつく。だがもし礼拝に毎週出席し、奉仕をしていたとしてもどうだろう。自分が人から良く見られ、信仰深く見られたいがため、自分の誉れ、自分の栄光のためなら、肉的な事になる。

 

又、御霊に属する事とは、御霊からくる思いであり、信仰的、創造的、肯定的なものだ。そこには喜びと平安がある。主への愛があり感謝がある。私たちは自分の思いを、コントロールすることは、なかなか難しい。思いはしょっ中、何かある度に、動揺し、又、さまよう。人からの一言で、落ち込み、真っ暗になってしまう。どうすれば良いのだろう。主に自分をおゆだねし、御霊に自分の心を支配していただくことだ。

 

その時、御霊が正しく導いて下さる。信仰生活が喜びであり、幸福感をもって歩む人々がいる。又、愚痴と不満、批判や非難で一杯の人々もいる。どこが違うのだろう。いつも喜びのある人は、喜びに目を向け、その事をひたすら考えている人であり、愚痴だらけの人は、愚痴に常に目を向けている人だ。

 

環境は関係なく、環境が原因なのではない。その人が思いをどこにつけるか、による。いつも恵みを数え感謝している人は、その人自身が幸せだ。何に目を留め、何を考えているかで、生き方が決まる。「現在の状況は非常に困難だが、主は必ず良くして下さる、信じていよう」これは御霊による思いだ。

 

御霊の方を選択して、従う事が、御霊に従って歩む事だ。肉の思いと御霊の思い、いつも二つの思いが目の前にある。どちらの思いを選択しているだろう。

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信仰による喜びはすぐに奪われてしまう。愚痴がこぼれそうになる時は、助けてくださいと主を見上げれば祈りになり、山場を越えれば主の助けに感謝をささげよう。御霊によって歩むとき、いつも心に喜びがくる。

 

 発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係