「さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた・・『アナニヤよ。』 と言われたので、『主よ。ここにおります。』と答えた。」 使徒9:10

ダマスコに、主の弟子であるアナニヤがいた。そのアナニヤは、主からの御声を聞いた。サウロという人物がいるから、ユダの家に尋ねるようにと。彼は、アナニヤという者が来て、自分の上に手を置と、再び見えるようになると幻で見たからと。アナニヤにしてみれば、大変な勇気の要る事だったろう。

 

あのサウロは、クリスチャンをひどく憎悪し、激しく迫害し、情け容赦なく縛っては、捕らえ続けていた人物だ。あの恐るべきサウロが、回心したのだろうか。本当に? そんな事があるのだろうか。もし、それがまやかしなら、間違いなく自分は死ぬ事になるだろう。命がかかっている。しかしアナニヤは、祈っている時であり、いつも親しく聞いている主の御声に間違いの無い事がわかっていた。

 

アナニヤは従った。そして主も、アナニヤが必ず従うことをご存じであった。サウロもまた、「彼は祈っています」とあり、盲目の3日間、全く飲食をしなかった。つまり断食して祈りに専心していたサウロにもまた、アナニヤという人物が来て、見えるようになる、との示しを与えられていた。

 

双方が共に、祈りの中で、主により御心を示されていた。アナニヤの主への従順により、サウロは目からうろこのような物が落ち、目が見えるようになった。アナニヤは、主により用いられた。私たちも祈りの中にいる時、主は御声をかけ、御心を示し、用いて下さる。

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答えられず無視される祈りが一つもないことは何と感謝だろう。主は祈りを通して豊かに御心を示してくださる。自分の狭い価値観を超え誰かのために用いられる。主の導きに従おう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係