「彼らがわたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む。 」出エジプト25:8 

創世記では、ヨセフが宰相となり、一族を飢饉から救ったが、出エジプト記は、ヨセフを知らない新しい王が、民を苦しめるところから始まる。民は苦役にうめき、叫び、その叫びは神に届く。そして記事の最後は「主の栄光が幕屋に満ちた」と終わる。主は幕屋を作るように命じられた。

 

「わたしのために聖所を造るなら、わたしは彼らの中に住む」と。それはアロンとアロンの子たちを祭司として任命し、聖別し、その所で、罪のための全焼のいけにえを献げさせるためであった。律法を与えると同時に、律法が示す罪への解決、罪のための贖いを備えられた。そして幕屋は、彼らの間に住むために与えられた。

 

主が、民の間に住むことが、民を苦難のエジプトから救い出された目的だと言っている。「彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者である事を知るようになる。わたしは彼らの神、主である」と。苦難の地から出されたのは、主が民と共に住むためであった。

 

新約では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」そして「この方の栄光を見た」と。また「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります」、「わたしはぶどうの木であなたがたは枝」と。「とどまる」=「住む」、主と一つであると。

 

そして将来の私たちの最終的行き先、新天新地で「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる」と。エジプトで苦役の奴隷の民、つまり罪の奴隷の私たちが救い出され、主が共に住まわれる。何という光栄、喜びだろう。

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備えられている御約束はどれほど力強くまた偉大であることか。新しい契約によって主は今、私たちと共にいてくださり、新しい天地が現れる日には神の幕屋が人の間にあって共に住まれる。もはや死も悲しみもない。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係