「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。 そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります」ヤコブ4:7

主の御心を求め、示されて、行おうとする際に、必ず悪魔の妨げが来る事を覚えよう。悪魔は、主の祝福にあずからせたくないので、妨害して来る。「自分には無理、難しい」との思いだろうか。その声について行くと、心が重くなり、負担に感じてしまう。又、したくない思いも湧いて来る。「面倒だなあ」「嫌だなあ」「回避できないか」。

 

例えば、私たちの生命線である、祈りと御言葉についてはどうだろう。少しの空いた時間が出来た時に、御霊はその時間を生かして用いるよう、祈りの時にせよと言われるだろうか。御霊が、今、祈れと言われるのは、わかるのだが、祈ろうとすると、なぜか心が重くなって祈れない。祈る前はどうも無かったのに。

 

そして悪魔のささやきが来る。「また後で祈ればよい」「気分転換も必要だ」「今は疲れているから休め」。その内、眠気が来て、せっかくの静かな良い時間を逃してしまう。聖書を読もうとする時もどうだろう。この世の本は幾らでも読めるのに、なかなか聖書が読めない。つい気楽な雑誌に手が伸びてしまう。

 

又、何とか聖書を開くも、他の思いが次から次へと湧き、気づくと、他の事を考えてしまっている。思いがさまようのだ。ぼおっとして、何を読んだのかわからない。読むのを止めてしまう。又、御言葉に向かうと、睡魔に襲われる。これらは、悪魔の妨害だ。悪魔の様々な妨害に気づくだろうか。天に帰るまでは、この世では、日々悪魔との霊の戦いである事を覚え、主に拠り頼んでいよう。

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祈るより、自分の頭で考えて動き回る方が早く思える。失敗から学びたい。自然に任せていると常に御心から離されていく。サタンに押される弱さを認識していよう。意思をもって選択しよう。 

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係