「するとイエスは彼に言われた。『だれでも、手を鋤につけてから、 うしろを見る者は、神の国にふさわしくありません。』」ルカ9:62

この箇所に、主に従おうとする人々が出て来る。一人目は「おいでになる所、どこにでもついて行きます」と主に全面的に従うと言った。しかし主は、狐には穴、空の鳥には巣があるが、人の子には安心して住める家は無いと言われた。多くの苦労があり、多大の犠牲が伴うと。喜びと同時に幾多の苦難もあり、覚悟と決心が必要だと。中途半端な気持ちなら、こんなはずではなかったと、すぐに止めてしまう。

 

二人目は、「わたしについて来なさい」との、主からの明確な示しにもかかわらず、父を葬った後にと答え、父親が亡くなった後に従うと言う。ぐずぐずしていて優柔不断で、従おうとは思うのだが、結局は従う事の無期延期となる。それなら必ず従わないまま終わってしまう。御霊の示しに対し、ぐずぐず延ばしていると、幾らでも言い訳や弁解が出て来る。そして結局従わずに終わる。

 

三人目は、「あなたに従います」と、主に従う事を決心していた。だが、その前に家族に、いとまごいに帰りたいと。前進しようとしつつも、後ろを振り返る。捨てたつもりのものに未練を持ち、後ろ髪を引かれ、断ち切る事が出来ない。足を引っ張られる。その未練は、神の国にふさわしくないと言われたが、捨てるものへの執着が断ち切れない。結局、従えないままに終わる。

 

主に従おうとする時には、必ずサタンが来る。従わせないように様々な誘惑、攻撃、かせを持って来る。心の内からも、外側の環境からも、妨げが来る事を踏まえ、よくよく祈ろう。必ず悪魔の妨害が来る事に、しっかり心していよう。そして御心への一歩を踏み出そう。

 

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「つぶやかず、疑わずに行ないなさい」とあるが、御心を行おうとすると、必ず妨害が来る。サタンがつぶやきを起こしてくる。「何で自分なのか。都合が悪い」又、疑いが来る。「本当に御心なのか」、妨げて来るサタンに気づけるよう、祈っていよう。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係