「・・あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。 そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです」マタイ11:30

主を信じ、救われた私たちは、主に従って歩みたいと思う。そのため、職場や学校、近隣で、嫌な相手がいると「愛さなくては」「受け入れなくては」と思う。相手を嫌い、憎むと平安が無くなるからだ。気持ちがつらくなる。だからますます愛さねばと頑張る。だがどれだけ頑張っても愛せない。愛そうとすればするほど、ますます嫌いになる。

 

その感情は無くならないし、平安も無い。苦しくて祈る中で、自分の力で、肉で頑張っていると気づく。気づくのだが、又、なおも自力で頑張っている。肉はどこまでも根深い。苦しい中、何度も同じ事を繰り返し、頑張れば頑張るほど失敗し、疲れ果てる。そんな私たちに、主は「疲れた人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげる」と。

 

どうにもなりませんと、御前に認める時に、委ねるように導かれる。肩の力が抜けて、安堵が来る。自分が頑張るのは、出来ると思うかめらで、無意識にも心の底では出来るはずと思っている。主のもとに行く時「休ませてあげます」の通り、荷を下ろし、平安が広がる。 そして「わたしのくびきを負って、わたしから学びなさい」と。主が共に負って下さっているので、決して重荷とならない。主と共に御言葉を行って行ける。そこには御霊の喜びがある。疲れているなら、そのまま主のもとへ行き、ありのままを告げよう。

 

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絶えず主は、疲れた人は、来なさいと招いて下さっている。休ませて下さると。その通りに主のもとへ行き、ありのままを告げて、祈って行くと、平安にされるから不思議だ。そこに主の愛があり、あわれみがあり、更に主を味わい知って行く。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係