「そこで、彼は、『確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、 それを食べることはできない。』と言った」Ⅱ列王7:19

エリシャの時代に大飢饉があり、人々は餓死して行った。そんな危急の事態の中、エリシャは主から示されて、明日、小麦や大麦が溢れるばかりにあると語った。すると王の侍従が「たとい主が天に窓をつくられても、そんな事があり得ようか」と言った。それを聞いてエリシャは「あなたはそれを見るが食べられない」と言った。

 

そんな時、サマリヤの門に四人のらい病人がいた。町は酷い飢饉、どうせ自分たちは必ず死ぬ。それなら敵の陣営へ入ってみようではないか。あるいは食料があるかも知れないと。すると敵の陣営で、主が敵に、大軍勢の騒ぎを聞かせ、襲撃と思わせた。主の関与であった。敵は驚き、陣営を置いたまま、即、逃亡した。

 

それで入ってみると、山ほどの金銀と食料があり、彼らは、王家に知らせた。王は信じなかったが、偵察させ事実を知った。すると大勢が殺到し、門のそばで管理をしていた侍従は、踏みつけられ死んだ。預言通りになった。事実、溢れる食料を主は用意された。しかしそれを信じなければ、自分が手にする事は出来ない。溢れる食料にかかわらず、飢えて死ぬ事になってしまう。

 

私たちもどうだろう。十字架の救い、神の愛、恵み、罪の赦し、義とされる事、御霊による歩み・・溢れる食料の中にいながら、信じなければ餓死するように、溢れる恵みの中で、不信仰のため、虚しく歩んでいないだろうか。侍従は自分の姿だろうか。信じようとしていない自分に気づく事から始まる。ありのまま祈りに持って行こう。信仰を、一段階ずつ成長させて行って下さる。

 

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侍従長は、信じずに、受け取れなかったが、しかし主に向いて、ありのまま祈ることができる。「信じることができません」「目に見えるところに、常識に、経験値に頼っています。助けて下さい」と。主は助けて下さり、次の展開へと導かれる。

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係