「義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます」ヤコブ3:10 

平和をつくる人は幸いで、神の子どもと呼ばれると言っている。平和をつくる人となるためには、まず平和が、自分自身の中に、つくられていなければならない。自分の内側が、憎しみ、妬み、敵意、復讐心に燃えていたらどうだろう。又、思い煩いや不安で、悶々状態ならどうだろう、とても人の事など考えられず、周囲に平和をつくり出す事など不可能だ。

 

そのため、何よりもまず重要な事が、神と自分との平和だ。神との個人的関係において、妨げを取り除くことが必要だ。罪が示されているなら悔い改めよう。心にひっかかっていて、示されているのだが、なおざりに、伸ばし伸ばしにしている事があるなら、実行しよう。誰かに謝罪が必要なら和解しよう。

 

神から離れていたら、今すぐ立ち返ろう。両手を開いて待っていて下さる。放蕩息子が、父親のもとへ帰った時に、責めも、さばきもされず、喜んで受け入れられたように、どうであれ、神のもとへ帰ることを喜んで下さる。まず、自分と神との縦の関係が、平安であるように、自分の側でなすべき事を正そう。

 

その時、平和の子として、横の関係である周囲に平和をもたらすために、用いられる。肉はどこまでも自己中心だ。その罪の世界で、平和は自然にしているならできない。肉に流されるからだ。それは「つくるもの」だと言っている。自分では出来ないが、御霊の導きに一歩一歩従う時に、義の実を結ばせて下さる。

 

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まず神との平和が第一のことだ。罪は悔い改め、赦しを受け取り、主との平安な関係にいよう。平安が無くなる時は、御霊に心を探って頂こう。主との間が平安であれば、隣人との間に平和をつくって行ける。平和の子として用いられる。

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係