「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は・・その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる」ヨハネ7:37

人は、被造物なので、何かに頼らなければ生きて行けない。自分は、誰にも何ものにも決して頼らず、自主独立だと言う人がいるが、実は自分に頼っている。人は、正しく神に頼らなければ、必ず何か別のものに頼る。そしてそれが心の偶像となる。名誉、地位、富、愛する人、人からの賞賛、仕事、趣味・・何かを握りしめて、心の安心安定を得ている。

 

ザアカイは、富が自分を幸せにし、夢を叶え、将来を保証し、喜びを与えてくれると信じたので、富を握りしめた。不正で財を築き、トップに昇りつめ、大金持ちとなった。しかし罪を犯していたので喜びも平安も無かった。心は虚しく、頼った富は決して幸せをくれなかった。更に同胞にも毛嫌いされ、暗い寂しい孤独な日々だった。

 

一筋の光を主に求め、最後の望みを主に置いた。ところが、主はすでにザアカイを知り、主を求める魂をご存じであった。木にまで登り、主を求める一途な心を受け止めて下さった。ザアカイは主により罪赦され、心は初めて喜びで満たされた。サマリやの女性も男性が偶像であった。

 

5回の結婚と離婚を繰り返し、現在は同棲中だった。心が虚しくてたまらず、満たしてくれるものを、渇き、あがき求めていた。そんな心をご存じで、主が近づき、救いを与えて下さった。私たちも心の満たしを求めて、主以外のものを求める心はどうだろう。心のすきまを、空洞を、主に隅々まで埋めて下さる。

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主を信じていても、まだ満たされたいと何かを探してしまう。けれどまた渇く事も経験済みだ。主以外のものを探しているのに気づいたら、ありのままを祈ってみよう。祈りを通して主のいのちが流れてくる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係