「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してくださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらない」詩篇55:22

信仰生活の中で、時に試練に会う。試練はつらく、苦しい。ずっしり肩に荷がかかっている。心も重苦しい。この重荷をゆだねたら良いのは、よくわかるのだが、ゆだねる事ができない。「ゆだねる」とは、石を転がすというような意味で、主の上に、あなたの大きな石である重荷を転がしてしまう事だ。

 

するとその転がした重い石はどうなるだろう。それは主の上にあって、自分のもとにはもう無い。そのように、主にきっぱりと手放す事だ。すると主に渡したのだから、思い煩いが消える。自分のもとには無く、不安が失せて、心が平安になる。そして平安に、主と一つに、目の前の物事に対応して行く事ができる。経験した事があるだろうか。

 

ところが、委ねた「つもり」でも、自分が握っているなら、いつまでも不安は消えない。委ねたつもりで、実は明け渡していない。内心では、自分が手を放すと、物事がだめになってしまう、崩壊するように思うので、放す事ができない。つまり主を信じることができない。実は問題が「不信仰」「主を信じる事ができない」ところにあるなら、その事を認め、主に打ち明け、助けを求めよう。

 

又、絶対に自分の思い通りにしたいという時も、委ねられない。明け渡すとは、自分の思い通りでなくてもOKです、との態度だ。その事に執着しているなら渡す事ができない。御霊に心を探っていただいて、主の助けを求めよう。主は助けて下さって、委ねさせて下さる。

 

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自分の思いが強ければ、明け渡す事ができない。思い通りでなくなるのは嫌だからだ。自我が握り締めて、どうしても渡せないと打ち明け、しかし助けて欲しいと、ありのままを祈って行こう。主は求める者を助けて下さる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係