「主よ。あなたは私のともしび。主は、私のやみを照らされます。」 Ⅱサムエル22:29 

ある人の証しだ。職場で、今ならパワハラまがいの上司がいて、しょっ中、大声で怒鳴られていた。それだけでもつらいところ、口が悪く、ミスはこてんぱんに怒られ、仕事が遅いと怒鳴られ、責められ人格面への暴言まであり、ひどく傷ついた。そういう人なのだと思うのだが、辛い日々だった。段々、身体にまで来て、体調を崩し、仕事を休む事もあり、耐え難い日々であった。

 

主に助けを求め、祈りに祈っていた。そんな中、人事異動があり、その上司が、別の部署に配属替えになり、もう顔を合わす事は無くなった。これは祈りの答えと感謝し、苦しみから解いて下さったと安堵した。怒鳴られる事も、暴言も無くなり、ビクビクする事も、傷つく事も無くなった。これからは穏やかな日々と喜んだのだが、だが現実は違っていた。

 

上司はいないのに、上司の事がずっと脳裏に浮かび、心が苦しくてたまらない。そんな中で、気づきが与えられた。上司に対する怒り、恨み、憎しみ、赦せない思いでいっぱいになっている自分。祈りの中で、確かに上司は悪いが、御霊は、赦せない思い、憎しみ、恨み、復讐心は自分の問題であり、自分の罪であった。

 

それらを認め、御前に告白し、悔い改めた。その時に初めて、心底からの平安が心に広がった。その後、上司とバッタリ出会った。すると気持ち良く挨拶できて、心の悶々が消えていた。自分は被害者としか思わないので、自分の罪は見えなかった。もし心がざらつくなら、主に尋ねよう。御霊が、心を内を照らし平安へと導いて下さる。

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外には出さないが確かにある罪の闇に気づかされる。感謝だ。御霊によらなければ悔い改めることも出来ない。闇を照らされ悔い改め、赦されてまた前進できる。

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係