「すべての懲らしめは・・かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」 ヘブル12:11

ある母親が、子どもに、いら立っていた。遊んでばかりいて、勉強しない。友達が沢山いて、元気であるのはいいのだが、勉強が好きでない事もあり、幾ら勉強をと言っても出来ず、成績が悪かった。それが不満でたまらなかった。元気で良いとは思うが、心ではちゃんと勉強して、良い成績を取って欲しかった。

 

子どもに対して、どうしても要求が出て、ずっとモヤモヤを抱えていた。そんな時だった。突然、その子が事故に会った。救急搬送され、即、手術となり、予断を許さない厳しい状況に、医師に「覚悟をして下さい」と言われた。もう驚いて、何が何だかわからない中、とにかく命が助かるように、祈りに祈り、手術の間中、ひたすら祈り続けた。

 

その時に、生きていて欲しい、生きていてくれるだけでいい、後はどうでも良いと心底思った。成績なんてどうでもよい。何も要らない。生きているだけでいい。手術の間に、偏差値で子どもを見ている自分の姿を見せられ、涙と共に心から悔い改めた。主により手術は成功し、九死に一生を得て、子どもの命は助けられ、見事に快復が与えられた。

 

自分自身が砕かれ、変えられた。子どもの見方も変えられ、あるがまま受け入れられるようにされた。あのままならどうなっていたか、子どもをどんなに損なっていた事か。痛い、厳しい試練であったが感謝した。主に在って、すべての事が感謝であること、心から受け取れた。

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つらくて痛くて、今は何が何だかわからなくても、主は私たちを愛しておられ、決して無意味な試練などないと確かな信仰に立っていたい。主が御霊を通して気づきや力を与えてくださる。感謝だ。 

 

 

発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係